自分とは違う存在

 UAEやカタルなど湾岸諸国の多くでは、人口の半数以上を出稼ぎ外国人が占めている。
 国籍や民族、人種、言葉、そして信仰が異なる様々な背景を持った人たちが、一つの社会の中で隣り合って暮らす様は、ほぼ単一の民族の集団に暮らす人達にとっては不思議な光景と写るだろう。

 一つ誤解してはならないのは、そんな彼らはけして「仲良く」交わって暮らしているわけではないということ。無論お互いに顔を合わせれば挨拶もするし笑顔も見せるし、それなりに会話もある。たとえ腹の中に抱えるものがあったとしても。

 異なる思想や文化を背負う者同士がトラブルを起こすこと無く暮らすために最も必要なことは「お互いに干渉しない」ことだ。つまり相手に対して無関心を通すこと。相手を理解しようとか、深く知ろうとしないこと。

 ここでは、異なる国籍や人種、信仰の間での付き合いはない。それぞれの共同体の中で全てを完結させている。カタル人と外国人の付き合いが稀有なのも当然ながら、インド人、バングラデシュ人、フィリピン人、あるいは欧米人、それぞれに暮らすエリアも働く場所も違う彼らは普段の生活で交わることはまずない。たとえ顔を合わせることがあっても、けして深入りはしない。したところで何も共感など生まれないことを皆それぞれが知っている。

 得てして日本人は他人と他人とが分かり合えるという幻想に溺れがちだ。
 残念ながら本当にニュータイプやらイノベーターやらが現実に現れたとしても、心のうちまでは「理解」することなどできないだろう。人間にできるのは「そういう人たちもいる」という「相互認知」だけだ。自分とは異なる他人という存在を許容できるか出来ないか、全ての争いの原因はそこに尽きるのだから。