別離の刻


 まだ気配の在り処を探している。


 9月26日。昨年から肺癌のため治療を続けていた父が、突然この世を去った。
 余命をある程度覚悟していたとはいえ、まさかこんなに早く逝ってしまうとは思っていなかった。
 だから、日本にいる兄からLINEで「親父が死んだ」とだけメッセージが届いた時は、一体何が起きたのか理解するのに数分がかかった。

 すぐに上司や関係各所に事情を説明し、同時に航空券を検索して手配した。
 本来なら9月29日から休暇で日本へ行くつもりだった。航空券もバンコク経由で既に手配を済ませていた。それらをキャンセルする余裕もないまま、気が付けばドーハ空港のイミグレをくぐっていた。

 カタル航空が関空直行便を休止しているため、エミレーツ航空でドバイ経由となった。
 いつもならウィンドショッピングで楽しいドバイ空港での4時間近い乗り換えが、果てしなく永遠の時間に感じられた。

 ドバイからのフライト。機内のWiFiに繋いで東京やバンコクに連絡を取り、手配済みの航空券のキャンセルを試みた。たくさんの善意を成層圏にいても感じられた。生きる理由はそれだけで良かった。

 通夜は18時半。空港に着いてバッグを受け取りタクシーに飛び乗る。
 自宅に着いたときには既に開始時間が過ぎていたが、それでも待っていた兄の用意してくれた喪服にすぐさま着替えて、会場へ向かった。

 信仰の違いとか、そんなことはもうどうでも良かった。
 小さな一室に置かれた父の棺。その側で目を真っ赤に腫らして座っている母を見て、初めて起きたことの重さを実感できた。

 もう父の顔も声もこの世にはないのだということを。
 翌日、葬儀は無事に終わった。
 小さな骨の欠片になってしまった父を拾い上げながら、最期の最期に父はいったい何を言いたかったのだろうかと、そんなことばかり考えていた。

 日中で家族はみな外出していた。誰にも看取られることなく、独りで逝ってしまった父。
 それでも、長期休暇を取る直前というタイミングは、何か狙っていたかのようにも思える。
 本来なら二週間しか居るつもりがなかったが、上司に無理を言って一ヶ月に伸ばしてもらった。

 今朝も母や兄と一緒に区役所を訪れて、手続きのやり残しを済ませた。
 その足で父が使っていた布団などをクリーンセンターへ運び込む。


 少しずつ、家の中から父の匂いが消えていく。

 いつも父の思いとは裏腹に自分の生きたいように生きてきた私は、いったいどんな息子と映っていたのだろうか。

 私には何一つ残さず逝ってしまった。それもまた父らしいと思った。
 私は何も要らない。この国に残していくようなものはもう何一つない。