骨を埋める覚悟という意味

 NewsPicksでアフリカでのビジネスの話題。

 アフリカの地で頑張っている若い日本人の語るエピソードが、残念ながら私のような古参から見れば「あるある」過ぎて痛い。若いっていいなぁ。

 日本に到着してスタバで思わず現地語が口をついた、なんて青臭さ全開。似たようなことを海外に出て数年くらいの、ちょうど初心者を脱した頃合いの日本人がよく口にする。
 それは「オレって、現地に溶け込みすぎて、つい現地語出ちゃったよ」という文脈で語られるのだが、そんなこと恥ずかしいから口にしないほうがいい。要は「環境に応じた切り替えができない」という環境適応力の低さを白状しているに過ぎない。

 とっさの反応で普段使い慣れた言語が口をつくことはあるかもしれない。しかし、通常の会話においては、話しかけてくる相手の言語に応じて切り替わるのが当たり前。
 そもそも「自分が今間違った言語を発した」と認識していることが、言語の切り替えができていない証拠だ。

 ところで、該当記事においては、日本人と中国人を比較して、「国へ帰るという心構えの日本人」「国へは帰らないという覚悟の中国人」といった対比がなされているが、任期の決まった駐在員を批判して悦に入るのは、現地で暮らす日本人の悪い癖である。

 国に仕事がなく、家族を養うために仕方なく遠い異国へと働きに来ている出稼ぎのアジア系から見れば、「何かあればすぐに国へ帰ることのできる奴らが何を偉そうに言ってるんだ」という話だ。

 彼らはまた死ぬまで働くことはできない。仕事がなくればもちろんのこと、年をとってパフォーマンスを発揮できなくなれば、否応なく国へと送り返される身だ。

 なんだ、この記事もまた、ドバイあたりにやってくる「ふわふわと浮ついた夢」を持った自分探しの日本人の言ってることと大差ないではないか。

 日本のメディアに取り上げられて日本語でおしゃべりして喜んでいるようでは不甲斐ない。
 そこまで現地主義を声高に叫ぶのなら、現地メディアに出て現地の言葉で語ってみろ。現地社会で有名になってみろ。話をするのはそれからだ。