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10月, 2016の投稿を表示しています

生み出すということ

写真を撮る。そこに撮り手のクリエティブがないとは言わない。
 被写体を見出すこと、自身が感じた空気を描き出すこと、それはある種のクリエイティブな行為だ。

 それでも、ゼロから、自分の中だけから何かを絞り出すように、目の前に形あるものとする才能に憧れる。

 かつて、落書きとも呼べないようなイラストを描いていた。
 高校生の頃だっただろうか。大学に入り、現実世界の中で人と人との間に身を置き始めた頃から、真白なケント紙に向かうことはなくなった。

 デジタルの時代が到来し、道具が変わればまた何かを描くことができるのではないかと淡い期待を抱いたりもしたが、実際には何一つそこに滲み出すことはなかった。

 きっと自分は死ぬまでファインダーを覗き続けるだろう。
 ただ、それだけでは吐き出したいものを全て吐き出すことができないような気がしている。

想像力の広さ

予報より数時間遅れの雨が降り出した。

 ふと「ドーハのアパート、また雨漏りしてないといいのだが...」と思って、すぐに我に返る。バカだなぁ、ここは日本で、ドーハの街はまだ午後で、雨なんて年に数日しか降らないじゃないか...。

 自分が今いる場所と時間。想像力とは、それらが内包するものを超えることはない。
 人は、一人の人間は、その人が生きる中で味わった経験と時間の長さを超えて何かを想像することはできない。

 逆に限られた経験値の中で、想像力が混濁することもあるのだろう。

 あと二週間もすれば、またあの街で生きる日々が再開する。

長い夢

長い夢を見た。

 ずっと、夢なんて見なかったのに。
 夢を見たことは覚えているけれど、どんな夢で、そこに誰がいたのかは思い出せない。

 もうじき私はまたこの国を離れる。
 この18年間、何度も繰り返してきたことなのに、どこか不安な自分がいる。
 理由は判っている。
 それに抗うことなど出来ないことも解っている。

 これまで生きてきたこと、それ自体が長い夢なんじゃないのかと思うことがある。
 それは、夢であって欲しいという逃避なのか。それとも、夢なら覚めないで欲しいという願望なのか。


感情

もうずっと以前から、まるでこの17年以上に及ぶ海外生活がなかったかのような、そんな長い時間をこの国で過ごしている錯覚に囚われている。

 似たような感覚は以前もあった。
 それでも、日課となってしまった現地新聞のチェックのためにウェブサイトを開けば、嫌でも現実に引き戻されていた。だが、今は少し事情が違う。アラビア語で書かれた新聞記事のPDFファイルを眺めて作業をしている間は、自分ではない誰かがそうしているような不思議な感触がある。

 死に目に会いたかったとも、叶うなら今すぐ会いたいとも、そういった感情は湧いてこない。冷静でいられる自分自身に別段驚きはしないし、そんな自分を冷たい人間だと自虐気味に笑うこともない。

 ただただ自分は今を生き続けなくてはならないのだと、そう思うだけだ。
 この滞在を終えて、祖国を再び離れる頃には、妻が待つあの国へと気持ちを向けることだろう。そこから更には今の自分が暮らす場所で、背筋を伸ばして現実に向き合わなくてはならない。

別離の刻

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まだ気配の在り処を探している。


 9月26日。昨年から肺癌のため治療を続けていた父が、突然この世を去った。
 余命をある程度覚悟していたとはいえ、まさかこんなに早く逝ってしまうとは思っていなかった。
 だから、日本にいる兄からLINEで「親父が死んだ」とだけメッセージが届いた時は、一体何が起きたのか理解するのに数分がかかった。

 すぐに上司や関係各所に事情を説明し、同時に航空券を検索して手配した。
 本来なら9月29日から休暇で日本へ行くつもりだった。航空券もバンコク経由で既に手配を済ませていた。それらをキャンセルする余裕もないまま、気が付けばドーハ空港のイミグレをくぐっていた。

 カタル航空が関空直行便を休止しているため、エミレーツ航空でドバイ経由となった。
 いつもならウィンドショッピングで楽しいドバイ空港での4時間近い乗り換えが、果てしなく永遠の時間に感じられた。

 ドバイからのフライト。機内のWiFiに繋いで東京やバンコクに連絡を取り、手配済みの航空券のキャンセルを試みた。たくさんの善意を成層圏にいても感じられた。生きる理由はそれだけで良かった。

 通夜は18時半。空港に着いてバッグを受け取りタクシーに飛び乗る。
 自宅に着いたときには既に開始時間が過ぎていたが、それでも待っていた兄の用意してくれた喪服にすぐさま着替えて、会場へ向かった。

 信仰の違いとか、そんなことはもうどうでも良かった。
 小さな一室に置かれた父の棺。その側で目を真っ赤に腫らして座っている母を見て、初めて起きたことの重さを実感できた。

 もう父の顔も声もこの世にはないのだということを。
 翌日、葬儀は無事に終わった。
 小さな骨の欠片になってしまった父を拾い上げながら、最期の最期に父はいったい何を言いたかったのだろうかと、そんなことばかり考えていた。

 日中で家族はみな外出していた。誰にも看取られることなく、独りで逝ってしまった父。
 それでも、長期休暇を取る直前というタイミングは、何か狙っていたかのようにも思える。
 本来なら二週間しか居るつもりがなかったが、上司に無理を言って一ヶ月に伸ばしてもらった。

 今朝も母や兄と一緒に区役所を訪れて、手続きのやり残しを済ませた。
 その足で父が使っていた布団などをクリーンセンターへ運び込む。


 少しずつ、家の中から父の匂いが消えていく。