投稿

2016の投稿を表示しています

海へ

イメージ
カタルは徐々に冬へ。
 日を追うごとに涼しさが増しているこの頃。日中でも部屋のエアコンを稼働させずに過ごせる良い季節がやってきた。

 そんな週末、我が家の定番は浜辺でランチ。
 炊き込みご飯などを準備して、車で1時間弱の郊外まで出掛ける。
 ほぼ北東の端の辺りまで出れば、車で乗り入れることの出来る砂浜がある。

 満潮なら波打ち際ギリギリに車を停めて、テールゲートを開けて波のうねりを見ながら二人でご飯を食べる。それから少し昼寝。目覚めたら持参したチャイを飲みながら夕日が沈んでいくのを眺める。日が暮れたら帰宅。

Mall of Qatar

イメージ
カタルで最大規模のメガモール”Mall of Qatar”がグランドオープンした。


 この手のモール、オープンしたといってもテナントの極一部、酷い場合には小さなカフェが一件だけ営業開始しているだけということが多い。いわゆる「ソフトオープン」と言われる形態だ。

 ところが、今回のMall of Qatarでは、なんと初日からテナントの90%以上が営業しているではないか。一部店舗ではPOSシステムの調整が間に合わず商品の販売ができていないところや、何軒か入っている銀行はいずれも準備中などもあったが、全体としては雰囲気を楽しむのに十分な店並びだ。

 テナントの顔ぶれは他のモールとあまり差は感じられないが、ここに来れば全部揃っているという安心感はかなり高い。中央部の大きな吹き抜けや、両側に店舗が並んだ通路の幅の広さなどは、詰め込むことばかり考えた従来の狭い作りのモールとは一線を画する。

 買い物目的がないと手持ちぶたさになるこれまでとは違い、用がなくてもブラブラしてみたいモールだ。

Mall of Qatar Official Web

ナショナルデー

12月18日はカタルのナショナルデーだ。
それまでは独立記念日として9月3日に式典が行われ、当日は祝日と制定されていたが、2007年に「Sheikh Jassim bin Muhammad Al Thaniがカタル統一を成し遂げた日」である12月18日が国家樹立の記念日として改めて制定された(9月3日の祝日は解除され、現在は普通の日となっている)。

制定当初は、この日が近づくと街中には国旗や首長の顔写真でデコレーションを施されたカタル人たちの愛車があふれていたが、視界不良やVIP車両、緊急車両との判別困難など様々な理由付けによって現在は禁止されている。

ただ、当人たちにはあまり国家への帰属意識はないように見える。
事実、数年前からナショナルデーに合わせて各部族が祝賀テントを張るのが習わしになっているが、これらが「部族」単位で仕切られていることからも、彼らの帰属意識は国ではなく部族にあることが窺い知れる。

当日の早朝には海岸通を封鎖しての軍事パレードが行われるが、これも当初は誰でも観覧可能だったのが、現在は家族連れのみが会場に入ることを許されている。
あからさまな規制はないにしても、この日だけは外国人は余所者であることをじんわりと実感させられる。

同時に、この国を背負っていく若いカタル人たちが、より良い国づくりをしてくれることを願わずにはいられない。

スマホで動画を撮る

1年半ほど使ってきたXperia Z3が壊れた。
 液晶の左端、幅1cmくらいがタッチに反応しない。ネットで調べてみると、似たような症状が頻発しているらしく、どうやら「タッチ切れ」はZ3だけの持病のようだ。

 そろそろ買い替えかなと思っていたので、ここはサクっと次の端末を購入することに。

 またXperiaにするのもなんだかスッキリしないし、中華スマホはコスパ最高だけど使い捨てみたいなところもある。それに正直AndroidOSのアップデートの遅さには懲りている。NEXUSかPixelならその問題も多少緩和されるが、どちらのモデルもここでは手に入らない。

 結局iPhoneに戻ることに。無印4以来だから4年ぶりか。7が出たばかりだったが、希望する色とメモリの在庫がなかったこともあり、型落ちで安めになっている6s Plusを購入。

 ハッキリ言って、Android機でもiPhoneでもできる事は殆ど変わらない。
 アプリなども殆ど同じものが揃っている。

 iPhoneの強みは豊富なサードパーティー製アクセサリだ。
 特に動画撮影に便利なパーツはAndroid機とは比較にならないくらい多い。

 仕事でショートクリップ動画を撮ることがあり、手持ちのミラーレスで試してみたりしたが、取り回しやファイルの扱いを考えると専用機もありだと検討していたところ。
 むしろiPhoneで撮った方がやりやすいのではないかと考え始めた。
 必要なのは

 ・外部マイクロフォン(指向性。ステレオである必要はない)
 ・グリップ(ジンバルタイプが理想だが、簡単な延長グリップでも十分)
 ・ライト(可能であれば)

 といったところが最低限か。これにアタッチメントレンズで広角と望遠が抑えられればいうことはない。

 例によってB&Hでいくつかピックアップして、来週の職場主催のイベントで試してみたい。

朧気に

あれからもうすぐ2ヶ月が経とうとしている。

 今頃になってふつふつと湧いてくる思い。
 あと4日。たった4日。何故待ってくれなかったのか...と。

 会って、だからどうということもない。普段通りに言葉少なにお互いの生存を確かめ合うだけだったかもしれない。それでも、もう一度声を聞きたかった。

 もし一つだけ願いが叶うのなら、私のことをどう思っていたのかを教えて欲しい。

 私はあなたにとって自慢の息子になることができていただろうか。

現実、そして願望

12月13日付けでカタルの新しい労働法が施行される。
 これまで、転職する場合には前職場からの承認が必要であり、承認されなかった場合には最悪解雇を言い渡され、以後2年間はカタルへの再入国および就職は認められなかった。

 新しい法律では、この点が最も大きな変更となり、転職にあたっては前職場の承認その他は一切要らず、また即日で新しい職場と雇用契約を結ぶことが可能になる。

 それでも、指定業種従事者への運転免許証取得制限といった様々な障壁は引き続き行われる。

 この国で外国人が成功するのは容易ではない。
 それこそあらゆる手を使わなくては、文字通りのし上がることは難しい。
 いわゆる「サクセスストーリー」とはほぼ無縁の世界だ。

 言葉(外国語)はたいした武器にはならない。英語もアラビア語も読み書き話す人間は掃いて捨てるほど居る。
 +αな能力や才能を最初から100%で出しきれる人間にだけチャンスは開かれている。

 この国が好きになったからとか、能力も伴わないままで、そういう一方的な好意を振りまいているだけでは何も起こらない。自国の役に立つ人間を重視するのはどこでも同じだ。

生み出すということ

写真を撮る。そこに撮り手のクリエティブがないとは言わない。
 被写体を見出すこと、自身が感じた空気を描き出すこと、それはある種のクリエイティブな行為だ。

 それでも、ゼロから、自分の中だけから何かを絞り出すように、目の前に形あるものとする才能に憧れる。

 かつて、落書きとも呼べないようなイラストを描いていた。
 高校生の頃だっただろうか。大学に入り、現実世界の中で人と人との間に身を置き始めた頃から、真白なケント紙に向かうことはなくなった。

 デジタルの時代が到来し、道具が変わればまた何かを描くことができるのではないかと淡い期待を抱いたりもしたが、実際には何一つそこに滲み出すことはなかった。

 きっと自分は死ぬまでファインダーを覗き続けるだろう。
 ただ、それだけでは吐き出したいものを全て吐き出すことができないような気がしている。

想像力の広さ

予報より数時間遅れの雨が降り出した。

 ふと「ドーハのアパート、また雨漏りしてないといいのだが...」と思って、すぐに我に返る。バカだなぁ、ここは日本で、ドーハの街はまだ午後で、雨なんて年に数日しか降らないじゃないか...。

 自分が今いる場所と時間。想像力とは、それらが内包するものを超えることはない。
 人は、一人の人間は、その人が生きる中で味わった経験と時間の長さを超えて何かを想像することはできない。

 逆に限られた経験値の中で、想像力が混濁することもあるのだろう。

 あと二週間もすれば、またあの街で生きる日々が再開する。

長い夢

長い夢を見た。

 ずっと、夢なんて見なかったのに。
 夢を見たことは覚えているけれど、どんな夢で、そこに誰がいたのかは思い出せない。

 もうじき私はまたこの国を離れる。
 この18年間、何度も繰り返してきたことなのに、どこか不安な自分がいる。
 理由は判っている。
 それに抗うことなど出来ないことも解っている。

 これまで生きてきたこと、それ自体が長い夢なんじゃないのかと思うことがある。
 それは、夢であって欲しいという逃避なのか。それとも、夢なら覚めないで欲しいという願望なのか。


感情

もうずっと以前から、まるでこの17年以上に及ぶ海外生活がなかったかのような、そんな長い時間をこの国で過ごしている錯覚に囚われている。

 似たような感覚は以前もあった。
 それでも、日課となってしまった現地新聞のチェックのためにウェブサイトを開けば、嫌でも現実に引き戻されていた。だが、今は少し事情が違う。アラビア語で書かれた新聞記事のPDFファイルを眺めて作業をしている間は、自分ではない誰かがそうしているような不思議な感触がある。

 死に目に会いたかったとも、叶うなら今すぐ会いたいとも、そういった感情は湧いてこない。冷静でいられる自分自身に別段驚きはしないし、そんな自分を冷たい人間だと自虐気味に笑うこともない。

 ただただ自分は今を生き続けなくてはならないのだと、そう思うだけだ。
 この滞在を終えて、祖国を再び離れる頃には、妻が待つあの国へと気持ちを向けることだろう。そこから更には今の自分が暮らす場所で、背筋を伸ばして現実に向き合わなくてはならない。

別離の刻

イメージ
まだ気配の在り処を探している。


 9月26日。昨年から肺癌のため治療を続けていた父が、突然この世を去った。
 余命をある程度覚悟していたとはいえ、まさかこんなに早く逝ってしまうとは思っていなかった。
 だから、日本にいる兄からLINEで「親父が死んだ」とだけメッセージが届いた時は、一体何が起きたのか理解するのに数分がかかった。

 すぐに上司や関係各所に事情を説明し、同時に航空券を検索して手配した。
 本来なら9月29日から休暇で日本へ行くつもりだった。航空券もバンコク経由で既に手配を済ませていた。それらをキャンセルする余裕もないまま、気が付けばドーハ空港のイミグレをくぐっていた。

 カタル航空が関空直行便を休止しているため、エミレーツ航空でドバイ経由となった。
 いつもならウィンドショッピングで楽しいドバイ空港での4時間近い乗り換えが、果てしなく永遠の時間に感じられた。

 ドバイからのフライト。機内のWiFiに繋いで東京やバンコクに連絡を取り、手配済みの航空券のキャンセルを試みた。たくさんの善意を成層圏にいても感じられた。生きる理由はそれだけで良かった。

 通夜は18時半。空港に着いてバッグを受け取りタクシーに飛び乗る。
 自宅に着いたときには既に開始時間が過ぎていたが、それでも待っていた兄の用意してくれた喪服にすぐさま着替えて、会場へ向かった。

 信仰の違いとか、そんなことはもうどうでも良かった。
 小さな一室に置かれた父の棺。その側で目を真っ赤に腫らして座っている母を見て、初めて起きたことの重さを実感できた。

 もう父の顔も声もこの世にはないのだということを。
 翌日、葬儀は無事に終わった。
 小さな骨の欠片になってしまった父を拾い上げながら、最期の最期に父はいったい何を言いたかったのだろうかと、そんなことばかり考えていた。

 日中で家族はみな外出していた。誰にも看取られることなく、独りで逝ってしまった父。
 それでも、長期休暇を取る直前というタイミングは、何か狙っていたかのようにも思える。
 本来なら二週間しか居るつもりがなかったが、上司に無理を言って一ヶ月に伸ばしてもらった。

 今朝も母や兄と一緒に区役所を訪れて、手続きのやり残しを済ませた。
 その足で父が使っていた布団などをクリーンセンターへ運び込む。


 少しずつ、家の中から父の匂いが消えていく。

写真の未来

ドイツで2年に1度開催されるカメラ・写真・映像の一大イベントであるフォトキナが今年も9月20日〜25日まで行われた。

 最大の注目点は富士フイルムの中判デジタルカメラ”GFX 50S"だろう。

 Xシリーズが始まった当初からハイアマなどの間で蔓延っていた「フルサイズ待望論」
 それを一蹴する中判サイズセンサーの採用。これがフジの回答であり、またこれからの流れとなるのは確実だろう。

 今は高価な中判センサーだが、5年もすれば、フルサイズがそうであったように、一般ユーザーにも手の届くところまで降りてくる。
 それでもAPS-Cサイズのカメラが無くなることはない。どんなにボディが小型化できても、センサーサイズに対応する、センサーが欲するに足りる光を取り入れるためのレンズの設計においては、小型化に限界があるからだ。事実、ソニーのα7シリーズ用レンズは、そのボディには不似合いなほど大きい。

 機動力を要求される分野には従来のXシリーズを、そしてスタジオ撮影や時間を掛けて撮れるコマーシャル撮影などの分野にはGFXシリーズを。富士フイルムの回答は単純明快だ。

 恐らく2年後の次のフォトキナでは、より多くの中判カメラが登場するに違いない。
 旧来の膨大な資産を有する大手メーカーにとって、新たに中判サイズの分野に足を踏み入れることは、その資産の否定にもなりかねない。
 しかしながら、中判がより身近なものへとなり、またトータルな小型化が可能なAPS-Cサイズが画質をどんどん改良していく現状で、フルサイズはその立ち位置が微妙になりつつある。
 ニコンがこのタイミングでD500を開発したのも、何か思うところがあったのではないだろうか。

 やがては「フルサイズ」という規格がかつてあったのだと、昔話のように語られる時が来るのかもしれない。

望郷とは異なる何か

今年もまた一時帰国のタイミングが近づいている。
 実際には3月の終わりに一度帰国している。しかし、妻を連れてのそれは帰国というよりは旅と言ったほうがしっくりくる。それは、まるで自分も外国観光客のような気分で日本を眺めた二週間だった。

 だが、今回は一人だ。そして向かうのは両親と兄が待つ家。

 今の私には生きる拠点が3箇所ある。カタル、タイ、そして日本。
 仕事という都合上、一年のうちでカタルに最も長く暮らしているが、終の棲家はタイと決めている。とはいえ、第二の故郷などという陳腐なことを言うつもりはない。

 それぞれの場所に理由が、事情があり、また愛着もある。

 かつては日本へ帰る度、変わりゆく姿と変わらない空気に、どこか懐かしさを覚え、気持ちの何処かに「まだやり直せるのではないか」という甘ったれた考えが小さなシミのように残っていた。

 望郷と言ってしまえないような何か。そう、あの頃の暮らしをそのまま続けていったとしたら...その成れの果てを覗き見たいような誘惑か。

 けして今いる自分の生き方を否定しようと思ったわけではない。
 ただ、ほんの少し歪んだ好奇心がじわじわと湧いて出ただけだ。

 祖国の外に暮らして18年目を迎えようとしている今は、もうそんな不可解な気分に襲われることもほぼなくなった。

 あれは夢だったのだ。本当にそう思えてしまうくらいには遠いところまで来てしまった。

意識

メッカにいる職員から時折Whatsappにメッセージが飛んでくる。
 やれ、あれが要るだの、こうして欲しいだの。
 全部現地でなんとでもできるようなことばかり。どうしてうちの部署は甘ったればかりなんだろうか。厳しく言うとふてくされるから、少しだけオブラートに包みつつ、そっちでできることはそっちでやってくれよという気持ちを含んで投げ返す。

 それなりの手当を貰うという前提でそこに行ったのだから、困難は自分たちで解決してやろうという意識はないのだろうか。ないんだろうな。だから平気で居残り組の私にそんなメッセージやメールを寄越してくるのだろう。

 日本が取り立てて勤勉だとは思わないし、今やアジア各国の方が活気づいているくらいだから、そんなことを言ってみても実際とは程遠いのかもしれないが、それでもやはり「だからアラブはいつまで経っても...」と愚痴りたくもなる。

状況

カタル内務省は9/1から3ヶ月間限定で、ビザの期限切れなどの「不法滞在者」に対して、即刻退去を条件にすぐに名乗り出れば罪には付さないという免除措置を発表。通常は不法滞在は発覚すれば一時勾留される「罰則対象」であるが、それが免除されるということで、かなりの数の申し込みがあった模様。   現在、湾岸諸国周辺は長引く石油価格下落と各地の内戦・戦争によって、見た目以上に疲弊しているのが実情だ。そんな中で現状を見限って出て行く者や、突然の減給や解雇によってローンを返せなくなり夜逃げのように出て行く者がいる一方で、国にとってメリットのない低レベル労働者の追い出しも同時に進行している。



 あと数年はこういった状況が続き、出稼ぎの顔ぶれも相当入れ替わることと思われる。



Hundreds of residents line up to leave Qatar as amnesty begins

【雑感】結局は他人事

同情するなら金をやれ。

 可哀想とか悲惨だねとか言うだけなら誰でもできる。感想を口にするだけ、現状をただ読み上げるだけ。それでは、事態を招いた当事者と何が違うというのか。

 そんなことでは、誰一人として幸せには出来ないと、気が付かないのか。

巡礼シーズンの始まり

今年のハッジ。カタルからは1200名(カタル人900名、在住外国人300名)で最終決定されたとのニュース。例年同様に発給ビザの追加を要請していたが、サウジ側からは回答は得られなかったようだ。

 そして、巡礼者の世話をするツアー会社(キャラバン)も過去最低の10社。カタル全体で36社あるが、その全てに割り振ったらどこもペイできないための措置だが、それでも昨年は14社が参加を認められていた。今年は石油価格下落による経済状況の低迷もあって、参加を断念したところが増えたのだろう。


” لا زيادة في حصة حجاجنا .. و10 حملات للتسيير ”

http://www.raya.com/news/pages/13d1c24c-1df1-4ea3-94e2-e3f208ba083d

 それに加えて、年々上がっていくハッジ費用。今年は空路利用のツアー価格がとうとう20000リヤルを超えた。
 また来年からは「ハッジ、ウムラともに2回目以降の参加についてはビザ代として2000リヤル(約6万円)を徴収する」ことがサウジ政府から発表された。これについては、近隣諸国や富裕層による機会独占を避けるというメリットに期待したい。

季節は巡る

イメージ
あれよあれよという間に1年が過ぎ、もうハッジ(大巡礼)の声が聴こえる時期になった。
 既に今月4日にはバングラデシュからの一行がメッカに一番乗りしている。

 カタルもハッジに向けた準備が始まったが、その作業については平年同様に遅々として進んでいない。ビザの申請に関してはサウジ側に委ねられていることもあるが、それを踏まえても相変わらずマイペース。もちろん、裏では足りない時間に汗をかきながら作業をさせられる職員がいるわけだが。

 私自身は去年同様に本隊への参加は見送った。元より、去年辞退した時点でこの仕事からは引退を決めているので、予定通りではあるが。

 昨日は部長から慰留されたものの、現状の顔ぶれなら行くつもりはさらさらない。
 毎年同じようなトラブルに同じような解決策。いつまで経っても進歩のない連中と一緒に仕事をするのはもう疲れたというのが本音だ。

聖地の意味

サウジ、観光ビザ導入-非イスラム教徒も視野に
(The Wall Street Journal)

 サウジが観光ビザの本格導入に踏み切ろうとしている。
 これに関して、NewsPicks上では「メッカやメディナにも入れるようにして欲しい」というコメントが散見された。

 正直な所、非ムスリムが聖地であるメッカとメディナに足を踏み入れることには賛成できない。それは多分に感情的な理由であるが、実際問題としても混雑を更に助長するだけで、イスラームの理解云々には何ら寄与しないと考えるからである。

 そもそも、ハッジ(大巡礼)は近年行きたくても行けないムスリムが増えている。それは受け入れ体制から考慮された収容人数を元にしたビザ発給制限によるものと、もうひとつは年々高騰するハッジ費用によるものだ。特にアジア諸国など物理的に距離がある地域に住むムスリムにとって、この二つはハッジにおける最大の障害となっている。

 二年前に妻の祖母がハッジに行った。その際に、地元ツアー会社には無理を言って職員枠のビザを分けてもらい、費用面では職場などで工面に奔走した。それだけやって、祖母は90歳にして初めてメッカの地を踏んだのだ。彼女のような例は一人や二人ではない。そんな状況において、非ムスリムがお金を払うだけでメッカに入れるとなったら、当然様々なところから不満が吹き出すことは想像に難くない。サウジアラビアとしてもその辺は解っているハズで、恐らくメッカとメディナへの非ムスリムの入場は認めないだろう。ただし、観光ビザに依る立ち入りエリアを拡大していく中で、メッカやメディナに入ろうと試みる非ムスリムは必ず現れる。その際にどういったトラブルを招くか、そのトラブルがどのように拡大解釈されて問題を引き起こすのかは未知数だ。

Pokemon Go

イメージ
カタルのアラビア語新聞の一つ「Al Watan」から。
 昔は本物の狩りだったのが、今やポケモン狩りだという風刺画。
 実は中東は未だ公式にはサービスインしていないポケモンGOだが、スタンドアローンのアプリや既にサービス開始している国のアカウントでアプリをダウンロードすれば遊ぶことが可能である。

 実際に自分のXperiaにインストールしてみたが、サービスが始まっていないと言いつつも、しっかりポケモンスポットやイベントなどが公園といった適切な場所に表示されている。これはポケモンGOがIngressをベースに開発されていることと無関係ではない。つまり20年以上に渡って人気を維持してきたアニメと、既に世界中にスポットを持つゲーム。二つの既存のメディアによるコラボであり、何一つ「先進的」なものがない枯れた技術によって成り立っているのである。

 すなわち、驚くような技術ではなく、じっくりと浸透するコンテンツこそが大切だということだろう。写真の世界でも、解像度やレンズの鮮鋭度などよりも、そこに写り込んだ「何か」が観る人に感動や驚を与えるものだし、笑える動画は例え小さなサイズでも何度も観たくなるものだ。

 この先、あらゆるメディアはネットに集められ、誰もが好きな時に好きなものを選べるようになっていく。その時、少なくともマーケットという舞台で勝つのは、膨大な質の高いコンテンツを維持してきた者であることは間違いなさそうだ。

タイに帰省中

イメージ
ドーハからの道中で気づいたことが2,3。

 バンコクのスワンナプーム空港で毎回SIMカードを買うのだが、去年辺りからパスポートの提示が義務付けられた。当初はコピー機でコピっていたのが、今回は専用アプリが入ったスマホで該当ページを撮影してスキャンで数秒で登録完了。データ容量などお得感が毎年上がっていくのは相変わらずで、さすが観光大国は企業も対応レベルが違うなと。

 もう一つはバンコクからナラティワットへの飛行機の中。この路線はタイ航空の関連LCCであるタイスマイルが唯一飛んでいるのだが、機内食が今回から刷新。一時間半の飛行時間でこれまではオレンジジュースとミネラルウォーター、それにマフィンのようなお菓子が一つだけ袋詰になって配給だったのが、今回はちゃんとトレイの上に熱々のチーズサンドといちごのゼリーそしてミネラルウォーターが。しかも食事は全てハラール認証マーク。

 ハラール認証の是非は自分も色々と言いたいことはあるが、ここで大事なのはハラール認証食事になったからといって運賃が割増になったりしていないという点。またタイスマイル側は殊更ハラール対応を宣伝しているわけでもなく、深南部路線ならムスリム客が多いのだから当然だということだろう。
 普段は出されても食べられなかった。嫁さんは嬉しかったのだろう、珍しくサンドイッチを完食していた。

 三日目までの予約が要るような料理を設定して「うちはハラール対応です。グローバルです」とドヤ顔してるどこかの国のホテルやレストランは見習ってほしい。

Posted via Blogaway Pro

望郷

昨日は週に一度のホンモスの日w

 いつものようにカシミーリーの友達といつもの食堂で、しかしいつもとは違う窓際のテーブルに腰を下ろした。
 持ち帰りのために路駐する車と、隙を見て横断しようとする人の群れでやや混雑する対面通行の道路に目をやると、食堂の前の段差に座り込んでスマホを覗く出稼ぎたちの姿。
 ふと、留学したばかりの頃の自分の姿が重なる。

 学生寮の真ん中にあった広い食堂で、日々代わり映えのしない食事を取り終えたら、早足で部屋へ戻り、とぎれとぎれに波のように聞こえてくる短波ラジオの日本語の声に耳を澄ませていた。
 朝昼晩と短い営業時間内に売店まで出かけてテレカを買った。
 1枚800円くらいだっただろうか。それで日本へ掛けても話せる時間は5分もなかった。部屋に電話回線はなく、携帯電話といったらモノクロ液晶で、ネット接続なんて夢の中の話。

 時折、思い出したように手紙を出した。

 あれから17年。踏みしめて立つ場所も、過ごす時間も、思えば本当に遠くまで来たなぁ。

【雑感】本当の手助けとは黒子に徹することである

当事者以外の人間が当事者よりも前にしゃしゃり出ると、問題はあらぬ方向へ拗れていく。

 得てして本人は「良いことをしている」つもりでいるから質が悪い。

 一方的な決め付けと断定によって代理者を気取った連中は、当事者たちも困惑するほどに問題をねじ曲げていることに気がついていない。

 身勝手な正義感は、悪よりも罪が重い。

ロンドン市長

新しく選出されたロンドン市長が「ムスリム」だということで話題になっている。

 確かに欧州を代表する大都市の長にムスリムがなったということは注目すべきことかもしれない。
 しかしながら、この件で重要なのは彼が「移民の子」であり「労働者階級出身」であるという点だ。それに比べたら、彼がムスリムであるという事実は、ことさら話題にするようなことでもない。

 一応は「イスラムフォビア」と戦うといった趣旨の発言もしている。
 それは「ムスリム」として注目される自身の立場を意識したものであろうし、あるいはそれをうまく利用しようとしていることによるものかもしれないが、ムスリムに肩入れするようなことが目立てば、反発を招くことは当然解っているだろう。かといってムスリムが不利益を被るような事態を無視することも命取りになる。

 彼自身、ムスリムであることにばかりスポットライトを浴びせられるのは不本意だと思う。また、周囲がそういうところにばかり目を奪われていては、彼の手腕を見誤るだろう。

 SNSなどを見ていても、ムスリムがこの結果を好意的に見ているのがよく分かる。しかし、そんなことに喜んでいるから、ムスリム世界はいつまで経っても問題を抱え続けるのだ。

アラビア語

アラブ世界の中でも、湾岸諸国は少し特殊な環境にあり、アラビア語が一切分からなくても生活することができる。

 大きなショッピングモールで働いているのはフィリピン人やインド人。彼らとのやり取りは英語。アラビア語を全く知らない店員も少なくない。現地ローカルが買い物のために英語を学ばなくてはならないと揶揄されるほど。

 では、仕事ではどうか。こちらも企業なら同僚は外国人だらけなのでアラビア語よりも英語が共通語になる。(参考までに政府内では書類のやり時は全てアラビア語であるが、よほど特殊技能を持っているといった場合をのぞいて、日本人が政府機関で雇用される可能性は殆どない。同じ能力ならより安く使えるインド人を、アラビア語能力を重視するならネイティブであるエジプト人やスーダン人を採用する方がメリットがあるため。)

 ドバイなどに憧れてやってくる日本人が後を絶たない。
 無論、何処に住んで何をしようと個人の勝手だ。
 とはいえ、その大半は勝手に「夢破れて」手のひらを返したようにネガキャンを繰り広げるというパターンだから呆れる。

 残念ながら、そうやって湾岸へやってくる日本人は、就労に際しての要件を満たしていない人が殆どである。冒頭に戻るが、アラビア語は出来なくても全く問題ない。英語が出来て、(ここが肝要なのだが)他国出稼ぎと張り合っても負けないだけの技能と経験を持っていれば、仕事を見つけることは難しいことではない。ただし、日本で同じ仕事をするのに比べて格段に安い賃金と、けして良いとはいえない住居環境に甘んじることができれば、の話だが。

ビザ更新

妻の滞在ビザ、すなわち家族ビザの更新のためにイミグレーションオフィスへ。

 初年度が5年、その後は3年、3年ときたのだが、今年は2年しか貰えなかった。どうやら制度が変わって家族ビザは2年しか出ないことになったらしい。職場からは3年分の申請をするための保証書を作ってもらったのだが、効力はなかった。

 外国人という立場は、常にビザ取得の不安がつきまとう。
 ましてスポンサー制度が軸となる湾岸諸国では、いつ突然切られるかわからない。

 常に異邦人としての危うい立ち位置を意識しながら暮らす。まぁ、それも悪いことばかりではないと思っている。気持ちを旅人のごとく保っていられるのなら、どこに居ても生きていける。

【雑感】独り言

手に入れた知識をひけらかして、自分は無敵だと思い込むのは若い人の特権の一つだろう。

 だが、それはとうの昔に先人たちが見つけ出したものの欠片にすぎない。

 知識とは、経験という箱があって、初めて形を成す。

 まぁ、それが解る頃には既にそれなりに年輪を重ねた後なのだが。

夏が来る

昨日は食料の買い出し。
 オマーン産のスイカが安かった(70円/kg)ので買ってみた。
 本当に中心部の僅かなところだけが甘くて、あとはひたすら水っぽかった。でも、夏な気分にはなれたかな。
 今日の予報は最高気温40度。火曜日辺りには45度までいきそうだ。

 長い長い湾岸の夏が来る。

 そんな灼熱の季節を避けるように例年ならラマダン最終週に帰省する嫁さんを連れてタイへ行くのだが、今年は諸々あってハッジ休みまで延期しようかと考えている。嫁さんを実家まで送って、犠牲祭を済ませたらそのまま日本へ。9月下旬頃になりそうかな。どのくらい休めるか分からないけど、その頃まだカタル航空が関空線を再開していなかったら羽田か成田へ飛ぶことも考えている。

 あるいはアジアの何処かを経由して、まだ訪れたことのない土地に踏み入れるのも面白いかもしれない。

サービスの意味

去年買い換えたばかりのオーブンが壊れた。
 休暇で日本へ向かう直前だったこともあり、そのままにしてあったが、さすがに妻が不便だとぼやくので修理に出した。

 当初は修理専門の業者を探していたが、あいにくアパートの周辺ではそういった店が見つからず、また同僚などに聞いてみても今一つ情報が得られないままだった。
 そういった店を先ず探したのは、正規の修理に持ち込むより安くつくだろうと考えたからだが、探しまわる労力を考えたら割にあわない気もしてきた。

 日本のように、購入した店で修理の取次ぎをしてもらえることは少ない。結局、メーカーの正規サービスセンターを探し出して持ち込んだ。
 買ってまだ1年も経っていないが、領収書を紛失したため保証無しの扱い。
 にもかかわらず、担当者は工賃の50リヤルだけを受け取り、交換部品(タイマーがいかれていたらしい)の代金は要らないという。

 妻は「今度何か家電を買うときはこのメーカーにしましょうよ」とごきげんだった(笑

 そう、こういうちょっとした対応が客に与える印象を大きく左右する。初めての客なら尚更だ。インド人と思われる担当者はその辺りをちゃんと心得ていた。


逝く人を見送って

数年前に友達に誘われて、とあるマジリス(サロンのような所)に通うようになった。
 そこはある部族を中心にその親族関係にあるいくつかの部族で構成され、常連でやってくる人の殆どが年配者で、かつ独身者というちょっと毛色の変わったマジリス。

 毎週末、有志を募ってレストランでディナーをするのが習わしだった。

 ちょっとしたきっかけで、足が遠のいた。あれから2年ほど経っただろうか。マジリスの様子は人づてには聞いていた。常連の何人かが亡くなったことも。

 その常連の一人、ディナーのまとめ役をしていた人の父親が先週亡くなった。
 知らせが届くのが遅れ、葬儀には出席できなかった。
 他のメンバーに連絡を取り、一緒に弔問に行くことにした。

 久しぶりに見る彼はやつれて見えた。

 少し挨拶だけして、その場をあとにした。
 誰一人知り合いのいない部族の集まりに座っているのは居心地が悪過ぎる。

 そして今週末はまた新たなマジリスに招かれている。そこから出会いが始まるのかどうかは分からないが、逝く人を見送れば、やってくる人もいる。この世界は、だから生きていられる。

夢見る君へ

初めての海外、目にしたものが全て新鮮でたまらない。
 帰国しても夢の中にいるかのよう。

 「いつか絶対あの国で暮らすんだ」

 そういう気持ちになった人は少なく無いだろう。

 でも多くの人は現実という壁に突き当たり、周囲を見渡して我に返る。
 あるいは、目標を現実に置き換えられるように、用意周到に努力を重ねる。

 そのどちらでもない人が時折いる。
 行けばなんとかなるだろう。誰かが助けてくれるハズ。自分はいつだって運がいい人間だ。
 そういう根拠の無い自信に満ち溢れた人。そして得てしてそういう人ほど無能だ。

 当然ながら、なんともならないわけで、そうなると今度は周りのせいにし始める。曰く人種差別だの、外国人差別だのと。

 現実をしっかり見なさい。
 ただ日本の大学を出たというだけの、専門性も身についていないような人間を誰が雇いたいというのか。まして言葉も出来ないのではお話にならない。

 手に職があっても、言葉がある程度分かっても、今度は「月給5万円以下でも働く出稼ぎ労働者」と職を奪い合うことになる。ローカルのようにオフィスで優雅にお茶でも飲みながら仕事?寝言もほどほどに。そんなものは10年早い。

 日本人は「よく働く」そして「何でも出来る」。それが逆にハードルを上げていることに気がつこう。つまり期待値が大きい分だけ、結果が伴わなかった時の相手の落胆も大きい、すなわち実際以上に評価を下げてしまうということだ。

 遊んで暮らすのと、働いて暮らすのとでは、同じ土地に居ても見え方は全然違う。
少なくとも働いて暮らすという現実の中においては、どんな土地にいてもその違いは殆どないだろう。

スーダン

イメージ
昨年11月に続いて2度目のアフリカ。スーダン出張を言い渡されたのは年が明けてすぐのことだった。

 いつも記事を担当するベテランのスーダン人が選ばれず、写真担当の自分だけが行くことになり、職場ではややバツの悪い思いをすることになる。
 とはいえ大臣の選択である以上誰も文句は言えない。
 当然ながら、写真を撮ることは期待されている仕事の一つでしかなく、実際にはあらゆる状況に対処するだけの能力を求められていることは行く前から承知していた。



 人生初のファーストクラスに乗り、給仕と2人で先行して現地入り。  政府専用ターミナルで出迎えを受け、大使館の車でホテルまで。

 翌日、本隊が到着して仕事開始。
 訪問先へは現地の警護隊による白バイの先導付きで移動。途中全ての交差点は警察が通行規制。走行中に規制を無視して並走しようとした市民の乗る車を、リムジンが強引に幅寄せして止めさせたのが印象に残っている。



 仕事は滞り無く済んだ。  同行したのは、給仕を除けば自分以外は全て要職に就く年配者ばかり。  それでも数年ずっと同じ職場で仕事をしてきたから、どこか身近な雰囲気があって、それに随分助けられたように思う。

U-23 アジア選手権

ドーハで12日から開催される「U-23アジア選手権」。これはリオ五輪の出場枠を賭けたアジア予選も兼ねている。

 先週から各国のメディア関係者も大勢ドーハ入りしているようで、街中でレンタカーを見かける頻度が増えたように感じる。
 正直言って、彼らの運転は恐い。なれない道路事情ももちろんだが、ゆっくり走ることが安全運転だと思い込んでいる節があり、非常の飛ばすカタル人たちの運転に慣れてしまった身には、リズムが合わずにイライラさせられる。

http://www.sponichi.co.jp/soccer/japan/2016/u23_fixtures_results/index.html

 試合の方は、16:30始まりと19:30始まり(いずれもドーハ時間)の二試合。日本戦は全て前者が割り振られているが、これはスポンサーとなっている日本メディアの影響だろう。こちら時間で16:30は日本なら22:30。週末なら寝ずに観ようかという人も多いに違いない。
 残念ながらメジャーなスポーツは放映権という旨味から、メディアの言いなりになってしまっている部分が少なからずある。
 当地では日没は17:00。ちょうど礼拝の時間と被る。もちろんハーフタイムに済ませることは可能だが、当然混雑が予想される。気候の良い時期だから、午後の早い時間帯でも試合は出来るはず。もう少しなんとかならなかったのだろうか。